平成28年熊本大地震

 こんにちは。中日新聞豊橋西部専売店 鳥居新聞店です。

 大変な災害が発生している中、更新ができなかった点を猛省しております。

 4月15日からの中日新聞紙上での報道と、その他情報をまとめて掲載させていただきます。

 4月15日 中日新聞朝刊『熊本で震度7』

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 地震は4月14日夜 21時26分頃 熊本県益城町を震源として震度7の大きな揺れを観測。

 同規模の大きな余震を繰り返しながら、翌15日朝にはその被害の様子が明らかになっていきました。(当日の主な震度は写真左下の地図にて表記)

 14日の地震は、夜も浅い時間帯の為起きている人も多く、迅速な対応が取れたこともあり大きな地震でありながら、当初死者・負傷者の数は比較的少なく報道されています。ライフラインの復旧も一部では早く、当日の避難者は夜が明けると一旦自宅へ戻る人が多数ありました。

 翌4月16日 中日新聞朝刊『止まらぬ余震 140回超』

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 昼夜を問わずほぼ間断なく繰り返す余震におびえながら、日中は倒壊した家屋や損壊した自宅周辺の片付けにおわれる住民。熊本市内にある自衛隊駐屯地からの支援が迅速であったにもかかわらず、倒壊した家屋の下敷きになるなどして、この日9名の死亡が確認されました。被害の集中した益城町では、繰り返す余震の影響で家屋が次々と倒壊。避難場所へ移動できない高齢者などの支援に不足が生じる中、被災者同士が助け合い指定避難場所以外に集まる人々に、繰り返し物資を運び配る様子がテレビに映っている。

 道路脇や路地を囲んだ石塀などの倒壊によって、道路は車両が通行できない状態になっており、遭難者や避難者の保護がはかどらない状況を生み出している。また、緊急車両の交通により倒壊家屋の廃材などが粉砕され、土ぼこりが立つなどしており、昼夜の寒暖差・避難所でのストレスに加えて、住民らの健康への影響も憂慮される。

 16日午後からは天候の急激な悪化が予測されており、損壊・半壊した家屋にブルーシートをかけるため、ホームセンターに集まる人々の姿も多く見られる。ただ、余震は常にあるため無理に屋根に上っての養生対策によるけが人など、二次災害が起こることも危惧されている。火山灰地盤の熊本地方にとって、大雨はここ数年来大敵といえる。被災地の地盤は街中でもハザードマップに多く記される危険箇所が多数存在する。

 2005年に復元された櫓が倒壊寸前となり、多くの心配を集めている『熊本城』。周囲を囲む重厚な石垣や、長塀などが大きく被害を受けている。

 熊本城の天守は昭和にはいってからの復元ですが、瓦が落ちるなどして被害を受けている以外、建物自体に大きな損傷は見られず、しゃちほこの喪失と瓦の落下(屋根を軽くして本体を守るため、非常時に落ちるようにできているとか)が現在確認されているのみ。石垣に被害がでるなか、周辺櫓など重文指定の木造建築が内蔵する免震システムの高度さに改めて注目が集まっている。

 多くの人々がこの災害と戦う中、16日に日付が変わったばかりの深夜。これまでに無い揺れが九州を襲いました。

4月17日(本日) 中日新聞朝刊 『6強「本震」死者41人に』

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 だまし討ちのようなこの仕打ちに、多くの人々が声を上げたのではないでしょうか。

 4月16日 午前1時25分頃 震度6強(M7.3)のこれまでで最大級の地震が九州を襲った。

 やや小康状態にあった余震の後、不意を付くようなこの大地震は 気象庁の発表で、その後『こちらが本震』と訂正し報告された。ライフラインの復旧で、避難所から自宅へ帰った夜に改めて被災した住民もおり、やっと寝静まった被災地の人々を、再び恐怖と絶望に落としいれたこの地震で、死傷者の数は急激に跳ね上がった。

 倒壊した家屋の下敷き、発生した火災による被害。また交通網が寸断され孤立した集落や、親元を離れこの春新たに歩み始めた学生達のアパートは無残に押しつぶされた。南阿蘇村での大規模な土砂災害により、救助の手は自衛隊・海上保安庁などの救援ヘリに委ねられている。

 また、先の地震では耐えていた熊本空港も、施設の損壊や停電など被害が拡大し、発着便全ての欠航を決め閉鎖されている。新幹線や在来線の相次ぐ脱線で、空も陸も自由な行き来を遮断され、熊本県民は窮地に陥っている。

 また今回の本震以降、震源は西へ移動しており16日未明におきた震度6弱程度の連続した地震では、周辺の断層帯を渡るように移動し余震の範囲は拡大している。気象庁は「今後も最大震度6以上の余震が1週間程度は考えられる」と、警戒を呼びかけており注意が必要。また、天候悪化による二次災害への懸念が強まる。

 断層帯を移動して行けば、今回の地震は山陰地方へ続く『中央構造線断層帯』へ影響する可能性もあり、近県の原発施設への影響を不安視する声も高まっている。

 

4月16日『中日春秋』より

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 驚くことに、明治時代の日記には熊本で起こった大地震の記述が詳細に残っているといいます。阪神淡路大震災から21年。東日本大震災から5年。熊本の復興は、こうした経験からどこよりも早くなくてはならないと思います。嘆き悲しみ同情することはいつの時代でもできるものですが、経験を重ねた私達が今どうすべきかは、これまでの記録と記憶が教えてくれるはずです。

 元アイドルの青年が呼びかける言葉。『やらない善意よりやる偽善』 気持ちがあっても行動できない人より、ここでいいとこ見せてやろう!でもかまわない。動ける人の方が意味がある。確かに。言葉より行動が必要なときは間違いなくあります。

 4月17日『中日春秋』より 

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 個人的なことですが、私の友人がまさに熊本におり14日の地震の直後にメッセージを送り、約半日後に連絡が取れました。震源から少し外れた地域に住んでいたものの、いうなれば目の鼻の先。少し離れた地域では断水・停電で不自由を余儀なくされているそうです。常にゆれ続ける為、今揺れているのか?私が変なの?と、混乱するそうです。手近なものが一瞬で破壊された散々な中でも、怪我などはしていないというので安心しています。16日深夜の地震は『阪神淡路』を思い出して、もしかしたら深夜に・・・明け方に。と身構えていたそうです。常に揺れる中で、水道水が濁り使えなくなったそうですが、ポリタンクもない様子でやや困惑気味。何か送ろうかと申し出ましたが、そもそも輸送が停まっている様子との事。本人が注文手配したものも届いてないそうです。

 多くの支援物資集めや活動が起こっていますが、一度配送については確認を取ったほうがいいかもしれませんね。折角送ったのに必要なタイミングで必要な場所に届かず、以前のように主要施設一箇所に滞ってしまうということもあり得ます。運輸も人の手が行っている作業ですので、被災地への個人間の救援物資の配送には注意が必要なようです。

 また、別の支援方法も。これは友人同士の話らしいのですが、「何か必要?欲しいものある?」との問いかけに、「ドラマとバラエティ番組録画しておいて!」。目からうろこでした。なるほど。必要は物や、して欲しいことは人それぞれ違うものです。同時に、できることも人それぞれです。

 このケースは一つのパターンですが、何もできないと思うよりは、こういうことでもいいんだ。と思うと少し行動しやすくなりませんか?

 苦難はこれからです。

 東海地方の地震がいつ来るかわからない中、まったく他人事ではありません。