5月8日:助けの手について

 こんにちは。中日新聞専売店豊橋西部 鳥居新聞店です。

 今日は5月8日『母の日』ですね。私は連休前半に、少し早めでしたがカーネーションを贈りました。皆さんは忘れずに感謝の気持ちをお伝えしましたか?

 比較的、天候に恵まれた今年のゴールデンウイーク。お出かけ疲れで週末はおうちで過ごしてます。という方も多いことでしょう。そんな時こそゆっくり新聞でも捲っていただけたら幸いです。

 『県内版』紙面の柱(紙面の端に縦に区切られた部分)記事に、『おたまじゃくし』というコーナーがあるのをご存知の方も多いと思います。小さなお子さんと大人との和やかで心温まる会話が紹介されているのですが、私も子供の頃から、サンデー版の「焼け跡の元気くん」と「まちがいさがし」はかかさず兄弟で取り合い、この「おたまじゃくし」のコーナーも楽しみにしてみていました。今日のコーナーではこんな投稿が紹介されています。

 最近になって、トイレで用が足せるようになった3歳のお子さん。

子『お母さんはトイレでおしっこできる?』

母『できるよ』

子『大きくなったね~』

 この投稿のタイトルは≪なんと答えていいやら≫でした(笑)

 きっと口調を真似ていらっしゃるんでしょう。お子さんの大人びた口調が聞えてくるような。すました顔まで浮かんできそうな、ほのぼのとしたお話です。そして、出来なかったことが出来るようになるお子さんと、いずれ老いれば出来ていたことが出来なくなっていく大人。という目線で見ると、またちょっと深い会話にも聞えてきますね。

 今はまだ手助けのいるお子さんも、すぐに何でも自分で出来るようになり、あっという間に反抗期?子供が成長する間に、どの家庭でも交わされる温かなやりとりが毎日掲載されています。母の日に是非お子さんと親御さんで読んで頂きたい小さなコーナーです。

 そして『助けの手』についてもう少し。今度は大きな記事のご紹介です。

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熊本地震:被災者義援金の受け取り尻込み』 5月8日中日新聞朝刊

熊本地震の被災地では、余震がまだ続く中復興に向けての手続きや補助の申請などが始まっています。多くの義援金が届き、まず直ぐにでも日常な支援金を各被災者の状況に応じて分配されることになったのですが、被災者の中には生活保護を受けていた人もおり、義援金を受け取ることで『収入』を得たとして、基本の生活保護費を減額もしくは停止されてしまうという事態が懸念されているそう。

 記事の中では、全壊などで最高20万の義援金が一時分配されるそうですが、ある女性に照らし合わせると、それに生活保護費を含めて月額41万を超えると生活保護費は廃止されてしまうのだそうです。しかし、この非常事態にあって日用品・家財道具・そして家を失った生活保護受給者にとって、41万という金額が果たして多いといえるのか。しかも、義援金の受け取りは金額の調整が効かず『受け取る・受け取らない』の二者択一となり、その選択は生活保護を受ける被災者にとって精神的に追い詰める要因になろうとしています。厳格な制度運用は、緊急事態において、煩雑な手続きを被災者に強い、複雑な事務処理を役所に負わせるだけではないでしょうか。平等性や正確性といった問題はあるものの、正しく等しく被災者を助ける手段としては柔軟な対応が求められていると、記事では訴えています。集まった善意を無駄にしてしまわないように対応して頂きたいですね。

 

 そして、東三河版で扱われていた、もう一つの『震災支援』の話題がこちら。

 『福島の子供保養 岐路』 5月8日中日新聞朝刊   20160508095614330_0001

 東日本大震災から5年。今も避難生活を余儀なくされ、原発事故のため被爆におびえながら生まれ育った場所に帰ることが出来ないでいる方々も大勢みえます。また、年数が経過して線量が低下し故郷へ戻ることが出来る人達の中にも、子供をつれて戻ることに大きな不安を抱き苦しんでいる人達が多くみえます。

 そんな福島の子供たちを、新城市の廃校になった小学校を利用した保養施設に招待し、『被爆やその不安から解放し少しでも自由に過ごしてもらう事で、心身ともに負担を軽減させ規則正しい生活で免疫力を高める』という趣旨で、2012年から継続支援されているのが、保養ボランティア『おいでん!福島っ子』。

 独り5千円の参加費を集めるものの、受け入れ側は交通費・食費・宿泊費・保険料・医薬品代・印刷代等の費用およそ150万円を負担し、これまで継続してきています。しかし、原資となる基金からの助成金が受給上限に達し、今後は寄付に頼るほか無い状況。また5年という経過年月からくる、『区切り』という空気と関心の風化による寄付の減少が大きな壁。

 被災地では、原発事故後の除染活動などが進み、住宅の無償提供の期限も迫る中、放射線を気にしながら自宅へ戻らざるを得ない状況がでてきました。そのため、これまでの保養希望者とは別に、地元でのストレスの緩和に子供を保養に出したいと考える、新たな需要が生まれる可能性が考えられ、一般のボランティアや各地の有志による『保養』の活動が、今後どう継続させていけるのか。大きな課題にぶつかっています。

 記事の中では、避難者に地元に戻って復興のために他県から人を呼んで(誘致して)欲しいと考える福島の自治体の思いも記されており、放射線についての認識の違い、立場の違いなど複雑な状況がみえてきます。

 熊本のボランティアも、ゴールデンウイーク後半から人手不足だそうです。前半に受け入れ側と参加側のミスマッチが大きく、人手が余りせっかくの善意が空振りに終わることが多かったせいか、やや残念な状況が多く見られました。継続的な支援が必要な中、需要と供給のバランスは常に安定しないのが『助けの手』です。

 いつか自分も誰かに助けてもらう時が来るはず。手を差し伸べる側、借りる側。どちらの立場にも気持ちが寄り添えるように、常日頃から関心を失わないようにしたいですね。